日本を代表する建築家・隈研吾(くま・けんご)さん。コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している隈さんに、木の魅力と可能性についてうかがった。
木の建築には、形を超えた魅力がある
2020年だけでも、高輪ゲートウェイ駅、角川武蔵野ミュージアム(11月オープン予定)など、常に注目を集める建築のデザインに携わっている日本を代表する建築家・隈研吾。彼の建築の大きな特徴のひとつは、材料に木材を使うことが多いこと。木材の魅力に気づいたのは1990年代、高知県高岡郡梼原町にある「ゆすはら座」の存続にかかわったことがきっかけだったという。
「木を使うと、それだけで普通とは異なる空間になることを発見したんです。建築とは形であると教わってきたけれど、木の建築には、形を超えた魅力があった。それは質感なのかもしれないし、直接的に人間の身体に響く何かかもしれない。布や石などのマテリアルとは明確に違って、木は、確実にそこに生物があるという感じがするでしょう? 同じ生き物同士の会話のようなものが発生して響き合うのではないかと思っています」
たしかに、木や木材があると人は温かみを感じ、リラックスできる。しかしそれはなぜなのか。隈さんは、人間のルーツに仮説を求める。
「人間の長い歴史を振り返ると、森で狩猟採集生活を送っていた時代の方が、その後の時代よりもはるかに長いわけです。その時の身体の使い方や環境の記憶が人間の基本的なOSになっているのだから、長い時代の記憶には代えられないものがあるのではないでしょうか」
木造建築は変化に柔軟に対応できる
建築という視点で見ると、木材には「つくりかえられる」という強みがあるという。
「木は、建物ができたあとでも切ったり貼ったりできる。変わり続けることができるんです。人間は歳を取れば変わるし、時代や生活も変わります。まさに今、コロナを機に社会全体が変わろうとしていますが、木の建築は、そうした変化に柔軟に対応してくれる気がします」
コンクリートではそうはいかない。ひとたびセメントと水と砕石を混ぜて流し込んでしまえば、もう後戻りはできない。そこで時間は固定される。これを隈さんは「コンクリートの時間」と呼ぶ。一方で「木の時間」には、時間を区切る特別なポイントはない。生活の変化や部材の劣化にあわせて、少しずつ手直ししたり取り換えたりできる。「木の時間」はゆるやかに続いていく。
「空間をデザインするのは一瞬の出来事に過ぎない。しかしそのあとに長い時間が待ち受けているわけであって、その時間をどうストレスなく過ごせるかが重要なんです。これまでの建築は、空間中心で考え過ぎていました。そうではなく、時間を中心に考えてみたら、また違った建築の姿が見えてくると思ったんです」
地球環境から見た木材の強み
隈さんが木材にこだわる理由は他にもある。ひとつは環境負荷だ。
「地球上に建てられる膨大な量の建築を木でつくるようになれば、膨大な量の二酸化炭素が削減されます。もちろん安易な伐採は問題だけれど、きちんと森の手入れをして、定期的に切って植えるという循環を守り続ければ、地球温暖化防止に大きな効果があることがわかってきました。なるべく地元の木を使うことも重要です。安いからといって遠くから木を運んでしまえば、輸送の際に大量の二酸化炭素を放出してしまう。そうした負荷が集積されると、自分たちの未来がすごく不安定になっていきますよね」
つまり、地元の木材を使って建築を建て、それを長く大事に使っていくことが、地球温暖化の解決にとって有効であるということだ。最古の木造建築である法隆寺の例を出すまでもなく、木の建築を長く大事に使い続けるのはそれほど難しいことではない。
「自分の身の回りの環境が自分の身体を支えてくれていると思うんです。自分とは関係ないところからモノがきて、それでモノをつくるというのは、そもそも人間という生物の生理に反する気がします」
昔から日本の大工は「最高の木は裏山の木だ」と言い習わしてきたという。裏山の光の当たり方や温度、湿度はその敷地と同じであり、建築ができたあとも狂いが少ないからだ。
こうした観点で考えた時、隈さんにとって、これまでつくってきた木造建築のなかでも、岐阜県立森林文化アカデミーで設計した体験センター「morinos〜モリノス〜」は特に印象的なプロジェクトだったという。
「これは、森林文化アカデミーが所有している森から採ってきた丸太でつくった施設です。学生たちにいろんなアイデアを出してもらって僕が添削しながら一緒につくったんだけれど、すごく面白かった。木は、鉄やコンクリートの専門性に比べればハードルが低い。だから一緒につくることを味わえる材料でもあるんです」
人は木を思い出し始めている
二十世紀の工業化社会とはスクラップ&ビルドの時代であった。ものをつくっては壊し、また新たにつくる。つまり、あらかじめ壊すことが前提にあった。しかし、そのようなスタイルは限界を迎えている。人々はむしろ、古いものや時間を経たものに愛着を抱き、そうしたものを身近に置きたいと思い始めている。
また、二十世紀は、コンクリートの箱に人を詰め込み、箱をどんどん大きくしていく時代でもあった。家は人間が住む対象というよりは売買の対象であり、そこに住む人とは距離のある存在だった。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、人々はその不自然さに気づき始めたのではないか、そう隈さんは指摘する。
「世界的に見ると、2000年頃から木を使う建築家がすごく増えました。コロナのずっと前から、人々は箱に詰め込まされることの危険性を予感していたのではないでしょうか。それがコロナによって加速され、背中を押された。箱から出なければ即、自分の生命に関わってくるという、予感を超えた実感・危機感を持ったと思います。箱から解放されて新しいライフスタイルが定着した時、いちばん頼りになる材料は木だという確信があります」
では、箱からの解放は、木でなければ実現できないのだろうか。
「たとえば布など、他にもいろんな可能性があるとは思います。しかし、人間がいちばん長く使ってきた素材は木です。木は、日本だけでなく世界各地いろんなところで使われてきました。自分たちがもっとも慣れ親しんできた木という素材を、みんな思い出し始めているのだと思います」