⽊製家具メーカーの⾶騨産業は、2020年で創業100周年を迎える⽼舗。⽇本の家具⽂化を牽引してきたリーディングカンパニーの名は世界にも知られ、洗練されたデザインも⼈気だ。
飛鳥時代から続く飛騨の匠の技
岐⾩県北部に位置する⾼⼭市は、⾶騨地⽅の中⼼にあるため⾶騨⾼⼭と呼ばれている。⽇本⼀広い市としても知られ、その広さは東京都に匹敵する。しかも総⾯積の92.1%が森林で占められている※1というのだから、どれほど森のめぐみが豊富な地域か容易に想像できるだろう。
※1 岐阜県森林・林業統計書 平成三十年度版より
この地域には、1300年前の⾶⿃時代から「⾶騨の匠」と呼ばれる⽊⼯技術を持った職⼈たちがいた。彼らはその技術の⾼さを都(みやこ)から認められ、⽊⼯技術を提供する⾒返りとして税の⼀部が免除されていたという。薬師寺、法隆寺、東⼤寺など数々の寺社仏閣の建⽴にかかわったといわれ、平城京・平安京の造営にも貢献。万葉集や源⽒物語にも度々登場するほど、⼈々の⽣活から切り離せない存在だった。
こうした「⾶騨の匠」の技術を受け継ぎ、世界トップレベルの家具をつくっているのが、2020年8⽉10⽇に創業100周年を迎えた⾶騨産業株式会社だ。
「無⽤」と呼ばれた国産の材料に⽬を向ける
現在はほとんどなくなってしまったがかつて⾶騨地⽅には豊富にブナの⽊が⽣えていた。ブナ材は下駄の⻭や⽊炭に利⽤されるだけで、資源としてはほとんど使い道がなかった。これを有効活⽤するため、⻄洋の曲⽊(まげき)技術と「⾶騨の匠」の技を⽤いて家具をつくろう──そうして⾶騨産業の歴史ははじまった。
匠の技術はブナだけに⽌まらず、同じく家具材には不向き考えられていた国産のスギ材に新たな可能性を⾒出していく。イタリアの巨匠エンツォ・マーリとコラボした「HIDA」シリーズをはじめ、スギやヒノキの枝を使った「kinoe」シーズなど、⽊材本来の形や質感を⽣かした先進的なデザインを組み込みながら、新しい家具を世の中に⽣み出してきた。
「⽴ち上がりたくない椅⼦」
⾶騨産業の家具について、ある作家は⾃⾝が司会をつとめるテレビ番組にて「⽴ち上がりたくない椅⼦」と表現している。実際に座ってみると、たしかに、あまりの座り⼼地の良さに⽴ち上がりたくなくなる。もっと座っていたいと思ってしまう。
⾶騨産業のすべての家具に共通しているのは、⼈間の⾝体への負担の少なさ、つまり優しさと、美しさの両⽴である。そのクオリティーを⽀えているのが曲⽊の技術だ。曲⽊とは、⽊材を⾼熱の蒸気で蒸して曲げる技術のこと。これによって独特のしなやかな形状が⽣まれ、⾼いデザイン性も実現できる。また⽊材の繊維がつながっているため、⾼い強度も得られる。曲⽊を取り⼊れたメーカーは他にもあるが、これほどの⾼⽔準は世界でも⾶騨産業だけだと⾔われている。
世界トップレベルの技術があるから、挑戦的なデザインを設計できる。デザインが技術⼒をさらに引き上げ、定着させる。だからこそまた⾰新的なデザインに挑戦できる。⾔葉にすればシンプルな好循環だが、実現させるのは簡単ではない。⾶騨産業はその繰り返しを100年間続けてきたのだ。
世代を超えて、何百年も受け継がれる木の家具
⼀⽣モノという⾔葉があるが、⾶騨産業の家具にはまさにその⾔葉がふさわしい。すべての製品の⽊部には⼯場出荷⽇から10年間製作過程の不都合による破損の場合、無償修理の保証がついており、⽉に300〜400の製品が本社の修理⼯房に帰ってくるそうだ。現在は、おもにバブル期につくられた製品の修理が多いという。
時には第⼆次世界⼤戦より前につくられた製品が修理で戻ってくることもあるというから驚きだ。⼀⽣どころか、いくつもの世代を超えて受け継がれていく。
営業企画室の森野敦(もりの・あつし)さんは、「⽊は、うまく使いさえすれば、育った年⽉よりも⻑く使えるんです」と語る。
「奈良や京都の寺社仏閣などの例を出すまでもなく、⽊は、何百年も使える素材です。何年か経ったら修理をし、また次の世代に使っていただく。これが会社の理念の中⼼にあるので、安易に壊れてしまう家具は決してつくりません。デザインと品質の⾼さは譲れないですね」
修理のリクエストもさまざまで、「傷はそのままにしてほしい」「⼦どもが貼ったシールを剥がさずに直してほしい」など、家具に刻まれた家族の歴史を保存したまま修理してほしいという声も多い。家具には、使った⼈たちの記憶が積み重なっていく。
家族が集まってくる家具
家具と⼈との関係を考える上で、象徴的な話があった。森野さんに「理想の家具とはどんなものか」と尋ねたところ、こんな答えが返ってきたのだ。
「何年か前に、私の兄が東京で家を建てた時、⾶騨産業の家具を勧めました。兄夫婦には娘が2⼈います。普通、娘は年頃になるとなかなか親⽗の前に出てこなくなるけれど、⾶騨産業のダイニングセットを買ったら、家族が集まってくるようになったと⾔うんです。⼀緒にごはんを⾷べたり、テレビを⾒たり、そうしたことをずっとこの椅⼦に座ってやってきた、そう⾔っていました」
家族が集まってくる家具――。
この印象的な話が⽰唆するのは、家具とは、⼈と⼈とをつなぐ媒介であり、家族のコミュニケーションを⽣み出す装置でもあるということ。もっと⾔えば、真に良い家具とは、単なる道具にとどまらず、家族の⼀員、家族そのものになっていくのだということ。
森野さんはこうも付け加えた。
「理想の家具とは、⼈を想う家具のことだと思います」
⼈を想う家具を求めて、⾶騨の匠の末裔たちは、次の100年へと向かう。