EARTH MALL with Rakuten Magazine 未来を変える読み物

2023/1/16更新

愛媛の旅で出会った、サステナブルなものづくり。

瀬戸内海に面した四国・愛媛県は穏やかな気候と自然に恵まれていて、山海の幸に恵まれた食文化、歴史を感じるレトロな街並み、流れているゆるやかな時間、人のあたたかさや優しさがじんわり心に沁み入ります。EARTH MALL(アースモール)編集部は、そんな愛媛の魅力をさらに深掘りするために、クリエイターとサステナブルなものづくりをする人たちを訪ね、旅をしました。3つの旅を通して出会ったもの、人、文化の魅力 をお届けします。

砥部焼のルーツと未来に繋ぐためのアクション。

白磁の肌に呉須の絵模様が描かれた、手作りの良さが色濃い砥部焼。 ぽってりとした厚手の形は、暮らしによく馴染み、食卓にあたたかさを添えます。砥部焼のルーツと未来への展望を学ぶべく、ブランディングディレクターの行方ひさこさんと旅をしました。

砥部焼の誕生は、240年以上前に遡る。

手になじむ厚手のフォルムに描かれた、唐草をはじめとする「自然」をモチーフとしたシンプルで躍動感のある文様——手作り、手書きで作られた素朴さとあたたかみを纏った砥部焼は、実は約240年以上もの歴史があるという。
愛媛県伊予郡の砥部町で作られる砥部焼の誕生は、原料が“地元にあった”ことが大きなきっかけ。実は、陶石が採れるのは、日本列島の一部と朝鮮半島、中国、タイのみ。とりわけ、日本において陶石が十分に埋没しているのが、ここ、砥部町だという。焼きものの産地は数あれど、地元の陶石だけを使って作っている磁器は多くはないのが、産地の現状だ。
時を遡ること江戸時代に始まった、地元の陶石を原料に磁器を作るという技術開発。それが、いまもなお、途絶えることなく続いていることは、とても尊いこと。そのルーツや伝統、そして、現代における“砥部焼の課題”を理解するために、明治15年に開窯された現役最古の窯元、梅山(ばいざん)窯を訪ねた。

「梅山古陶資料館」では、砥部焼に関する数多くの貴重な資料が展示されていて、砥部焼のスタイルが確立するまでの流れを学ぶことができる。町指定有形文化財である砥部町最大の登窯を見学することも可能。民藝運動を牽引した柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らの貴重な書や版画なども所蔵されている。

敷地内で談笑する梅山窯の社長、岩橋和子さんとブランディングディレクターの行方ひさこさん。梅山窯の元社長が住んでいた趣深い茅葺き屋根の古い建物がそのまま残る。

柳宗悦にも認められた、誠実でまっすぐな手仕事。

資料館を覗くと、民藝運動を牽引した柳宗悦と陶芸家のバーナード・リーチらが、「梅山窯」へ視察に来た足跡を感じることができる。

「柳先生は美術評論家であり、宗教哲学者。先代は柳先生から美しさや用の美、ひいては哲学的なことを学んでいた、と聞いています。先生は『正直で、まっすぐな手仕事に勝るものはない』と語っていらっしゃったそうで。そうしたものの見方、考え方は、梅山窯にずっと根付いていて、職人たちの精神にも絶えず、受け継がれています」と岩橋さん。

第一次大戦中は輸出の最盛期で、輸出品が生産の8割を占めていたという。その主となるものは(写真上)の型絵染付茶碗(ライスボール)。明治時代に型絵付け技法を習い、通称「伊予ボール」と呼ばれる器を作った。この輸出の伸びによって問屋業が拡大し、砥部町の経済は潤っていた。
「伊予ボール」をじっくりと眺め、「型絵染付ならではの独特な仕上がりにときめきます」と語る行方さん。現代の技術では、プリントの技術で精巧な文様になりそうだが、手彫りの印判を使った手仕事が一際、目を引く。
行方さん自身、砥部焼に対して「日常で気負わずに使える親しみやすい器」という印象を持っていたこともあり、美的感覚に訴えかけてくる、かつての砥部焼の姿に興味津々。
「現代で“昭和レトロ”が人気なように、何周かして、この伊予ボールが、自分の目には、新鮮に映りました」と行方さん。
いざ、梅山窯の工房へと足を踏み入れると、職人の方々が作業に集中していた。

轆轤を回し、指先にぐっと気持ちを集中させて、美しい形に成形する。ときには、思うように成形できず、その失敗を笑い飛ばしながら、再び一つ一つの作業に向き合う真摯な姿もまた印象的。

絵付けの職人として30年ほど勤めている小田原ゆみ子さん。
絵付けの作業を進める手を止めて、笑顔でこちらの質問に応じてくれた小田原さん。お話を伺うと、実際に絵を描かせてもらうまで、下積みの時期が長かったそう。
シンプルだが、熟練の技が必要な
「唐草模様」を継承していく責任。
「下積みの時期は下準備までを手がけるんです。その後は、ベテランの方が絵付けをする流れがあります。やはり、相当筆に慣れてからではないと、絵は描けないんです。最初に絵付けを任せてもらったときは、一生懸命やろうとするあまり、つい力が入って線が思うように描けないことも多くて。器の中心にコンパスで跡をつけて、目線は器の口元を見ながら、筆を乗せていきます。シンプルな線なので一見、簡単そうに見えますが、実は難しい作業。熟練の技が必要なんです」

梅山窯は「梅山様式」という一筆描きのスタイルを生み出した。砥部焼の代名詞ともいえる「唐草模様」は、砥部焼を広めた陶工・故工藤省治のオリジナルの意匠。誰でも描けるような絵柄を工夫し、描き順まで丁寧に指導し、大量生産が叶うようにした。ほかにも、菊絵、笹絵などの草花文、ラインデザインなど砥部焼を代表する模様を生み出した。
小田原さんは「この絵付けを継承することも私たちの責任」と語る。
「いまは、釉薬で表現する作家さんも増えてきて、筆で絵を描かない作家さんもいて。伝統的な砥部焼のスタイルが減ってきているという印象もあります。自分が描くようになってから、私たちを指導してくださった、工藤省治さんが生み出した意匠の素晴らしさをしみじみと実感しています。この絵付けの意匠を継承していくためにも、頑張り続けたいと思います。私たちが筆を使って絵付けをしなければ、筆をお願いしている産地の業者の方の仕事も無くなってしまいますし。あるひとつの伝統工芸が途絶えてしまうと、プロダクト作りを支えてくれている業者の方にも影響が及んでしまうんですよね。そうした日本全体の産業のことも想像しながら、仕事に邁進したいと思っています」
その話を受け止め、行方さんが砥部焼に想いを馳せながら、語り出す。
「こうして直接お話しさせてもらって、作っている方のお人柄を知ると、よりものとしての魅力がダイレクトに感じられますね。出来上がりを眺めているだけでは、想像し得ない背景がたくさんあって。使うたびに周りの環境や景色を思い出せてくれますし、窯元を訪れて器に出合う、ということはとても大切なことだと思いました」

併設する売店で出合える、梅山窯のたくさんの手仕事。

私たちの手元には、綺麗な仕上がりの器が差し出されているが、その美しさに出合えるのも、職人の方の誠実な仕事があってこそ。実際に、梅山窯が手がけた商品を購入できる併設の売店へ向かった。

店内に余すところなく、ぎっしりと陳列された砥部焼の数々。その景観は圧巻。「どれを自宅に迎えいれようか」と思い悩みながら、買い物を楽しむ行方さん。花器は鉢などの大物から豆皿や蕎麦猪口などの小物など、様々なラインアップが。少し傷がついたものも、B級品として売り出されている。
「私は、花器のスクエアな形と唐草文様が素敵だと感じたので、これを購入したい。形が可愛いので、花を生けなくてもただ、オブジェとして置いておくだけでも様になると思います」と話す行方さん。
買い物を楽しむ我々に、社長の岩橋さんは、梅山窯に対する想いを熱く語ってくれた。
「伝統工芸を発信していかないと、だんだん廃れてしまうと思うんです。若い世代の人にも、こういう誠実に作られたいいものがあるんだよ、ということをきちんと伝えていきたいですね」
梅山窯は、団体客以外はアポイントなしで見学が可能なので、是非ものづくりの現場を訪れ、実際にどのように作られているのか、自分の目で見て、確かめてみてほしい。
記事の後編では、砥部の陶石を生かし大物の白磁を作る八瑞窯の白潟八洲彦さん、砥部焼の産業そのものが進化する仕組みを考えながら、活動する「白青」代表の岡部修三さんなど、いまの砥部焼を牽引する作り手の方々にお話をお伺いします。

INFORMATION

梅野精陶所 梅山窯
住所:愛媛県伊予郡砥部町大南1441
TEL:089-962-2311
営:8:00-17:00
休:月曜日ほか
駐車場:バス5台・乗用車20台(駐車無料)
HP:https://baizangama.jp/

Photo by: Tetsuya Ito Edit & Text by : Seika Yajima


愛媛の旅で出会ったサステナブルなものづくり

砥部:前編 後編
大洲:前編 後編
宇和島



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