2023/12/1更新
SUSTAINABLE JOURNEY
星のや竹富島
沖縄本島の南西に位置する八重山諸島にある島のひとつ、竹富島。サンゴ礁が隆起してできたこの島は、沖縄の原風景が残っています。南北にやや長い楕円形をなしており、中心部に西集落(インノタ)、東集落(アイノタ)、仲筋集落(ナージ)という3つの集落が存在します。そして、島の東側に位置する「星のや竹富島」は、集落の伝統建築を踏襲するように作られた“第4の集落”とも言えます。島民が大切に守ってきた自然や景観を愛し、地域の資源や文化を尊重し、資源の保護や活性化に貢献し続けてきた「星のや竹富島」。集落を散策しながら島の風土や文化、生きる知恵を学ぶ旅をしてみませんか?
土地を開き、白砂を敷き詰め、グック(石垣)を積んで道を作り伝統的な赤瓦屋根の家を48棟建てた。凹凸のある赤瓦は白い漆喰で固めて作られている。漆喰で補強されたばかりの屋根は白の面積が多いが、経年変化でグレーに。集落の景観によくなじんでいる。
集落の伝統的な建築を追求した、1軒家の客室デザイン。
「琉球建築」と聞いて真っ先に思い出すのは、赤瓦の屋根。青い空と赤瓦の屋根は、南国・沖縄のシンボリックなイメージだろう。この赤瓦は沖縄南部一帯で取れる地域特有の「クチャ」という泥岩を使って作られているという。鉄分を含むクチャは焼き上げることで赤みが出る特性がある。それによって、見るものの心を温めてくれるようなやさしい色味に仕上がっている。素焼きの瓦は通気性や吸水性が高く、屋根の湿気をなくし通気性も良くなる機能性を持ち合わせているのだとか。美観にとどまらず、土地の気候に合った建築様式を叶えていることは、琉球建築の際立った特徴である。「星のや竹富島」は、建築家の東利恵氏に依頼し、集落や島の人たちへの丁寧なリサーチを重ね、一歩踏み込んだ竹富島独自の景観形成に則った建築様式を貫いた。
そして、家を守るように鎮座するシーサーは、余った漆喰で職人が作ったものを屋根に乗せたのが起源と言うから面白い。シーサーの表情をひとつひとつ観察すると、島の人は誰がこの屋根を作ったのかが分かるという。集落を散策しながら、屋根に鎮座するシーサーを見上げ、表情の違いに注目してみるのも楽しい時間になりそうだ。
一軒家タイプの客室スタイル。積み重ねられたグックもまた経年により白からグレーに変化した。門の右側は“神様の通り道”という言い伝えがあるのだとか。それだけではなく、日常生活の暮らしの動線的なことも相まって、左から入るのが島民の習わしになっている。
もうひとつ島の人たちの朝の習慣になっているのは、白砂を敷き詰めた道の“掃き清め”。竹富島では、道を掃き清める行為に「魔を祓う」という意味を込めている。それは、医療が行き届かなかった時代に、自分自身で身の回りを整えておく必要があったから。島の人々は、そうした日々の心がけなくしては、心身の健やかさは持続しない、と危惧した。知恵を絞り、自分たちの力で生活をより良く、心地よいものに導くための気構えを大切にしていることが伝わってくる。
1軒家の広々とした敷地内にハイビスカスやニトベカズラなど、華やかな花々の植え込みがある。グックの高さは、日本人の平均的な身長程度。室内で過ごしていながら、周囲の人の気配を感じ取れるつくりになっている。南側の方角に大開口の窓をしつらえた。
庭を望める客間のガラス戸を開放すると、部屋の中を竹富のあたたかな風が通り抜けていく。竹富島では、春に吹き始めるあたたかな風を「幸せを運ぶ風」(パイカジ)と呼び、南から届く風を取り込めるようなつくりにしている。客室にゆったり浸かれるバスタブや快適な水回り、扉に囲まれた空間に寝室があり、静かな時間にどこまでも身を委ねることができる。
竹富島の薬草や野菜を自給自足し、農作物を継承すること。
ひとたび、集落を散策していると、畑を発見する。農作業をしているスタッフの人たちに話を聞けば、観光業や流通の発展とともに失われつつある畑文化や農作物を継承するための活動に力を入れているという。
竹富島の薬草である命草(ヌチグサ)をはじめとした約50種類の作物を畑で栽培している。
八重山の冬はハーブや野菜が旬を迎える。「星のや竹富島」では、畑で収穫したハーブや野菜を使ったメニューが食べられることも。
畑の管理を担う大政司さん(左)と伊藤蓮さん(右)。大さんは定年退職後の新たなチャレンジとして畑づくりに邁進している。伊藤さんは、竹富島に住みながら畑仕事に精を出す。声をかけると、気さくに畑や作物のこと、竹富島の歴史を教えてくれる。
「竹富島は山や川がなく、水は貴重なものでした。そうした土地柄ゆえに、作物を育てるのに適しているとは言い難い環境です。それもあって、米は西表島に出向いて作っていたんです。島の人たちは、自分たちで食料を得るために工夫を凝らして、土地に合った雑穀や野菜を育てていた歴史があります。かつて、島には竹盛佐賀翁(たけもりさがおきな)という方がいて、彼が民間医療として命草(ヌチグサ)がもたらす力を伝えていたと言います。命草とは、医者のいなかった竹富島で島の方々の健康を支えてきたハーブや野菜のこと。こうした先人の存在がいたからこそ、いまの竹富島があります」と昔を振り返りながら大さんが話を続ける。
「島の人は色々と知恵を絞って、あるものを工夫しながらいろいろな調理法を編み出していました。今みたいにスーパーはなかったですから。ほとんどの食べ物は自給自足で、みんなで助け合いながら、生きていく。それが、うつぐみ(一致協力する)の精神です。島の人たちは金持ちがたくさんいるわけではないけれども、みんなで助け合う生き方をしています。私が子どもの頃は、血縁はなくても、周囲の兄さん、姉さんに子守をしてもらっていました。先輩が後輩を可愛がり、後輩は先輩を慕う。互いを想い合う関係性が続いていることも、竹富島のいいところだと思います。この先の未来にも、そういう気持ちを繋いでいけたらと思います」
畑で育てている作物について尋ねると、ウイキョウ、フェンネル、ディルなど
香りが強い料理のアクセントになるハーブもあるという。さらに、ニンニク、芋など日常的に欠かせない素材も揃う。「こうした香りが強いハーブは、山羊料理に使うと臭みが和らいでいいんですよ」とベストな食べ方を大さんが教えてくれた。自分たちで育てた作物への愛が滲むやりとりに心が温まる。
竹富島の土壌で育ちやすいのは穀物類。粟、芋、クモーマミ(小浜大豆)ハーマミ(小豆)などを育てている。小浜大豆の種が絶滅していたが、八重山の農林高校に保存されているという話を聞き、譲り受けることができた。いただいた種を植えて畑で栽培をし、小浜大豆を復興した。
粟は米の代わりに栽培されていた作物で、人々の暮らしを支え続けた長年の歴史がある。島で600年以上続く竹富島最大の祭事「種子取祭(タナドゥイ)」では五穀豊穣の祈願に粟が利用され、神への供物として奉納されている。
「『種子取祭』は神頼みなんです。毎年、豊作できるのも神頼みがあってこそ。神様にお礼をする精神でやっています。島に訪れた際には、ぜひ見てほしいですね」と大さん。
島の資源を大切にするために開発した、革新的なテクノロジー。
そうした島の人たちの自然に対する深い敬意にならい、「星のや竹富島」は、
最新のテクノロジーを使って、自然環境を守る取り組みを実現した。それは、海水の淡水化。島と共生するために海水淡水化装置によって飲料水の自給を始めたのだ。ないものは、自分たちの手で作り出す。竹富島の人々の精神性を宿したアクションだ。
「海水淡水化熱源給湯ヒートポンプユニット」。敷地内にソーラーパネルが150枚あり、41キロワット分の生産が可能。この電気を使って飲料水を作っており、「星のや竹富島」の客室の飲料水に利用している。これにより飲料水提供用のペットボトルを年間約1万本削減している。
導入者の足立淳さんが、取り組みが完成するまでの経緯を教えてくれた。
「竹富島は大型の台風に見舞われることがあります。そうすると水や電気が止まってしまう。だから、自分たちで水をどうにか作りたい、という強い思いがありました。太陽光発電とヒートポンプの一体化で、災害時の自立稼働やCO2の削減が可能になります。水は超軟水でとてもまろやかでおいしい。これを作ったことで災害時でも安定的に水とお湯、電力の自給が可能になり、竹富町の民間企業で初の避難所指定となりました。作ったときに、島のおじいやおばあがすごい喜んでくれたのが嬉しくて。昔は小さい井戸水を分け合って暮らしていたと聞きますし、この装置で水が作れるとなったらびっくりですよね」
自然を想い、島の人たちとの共生を真摯に考える。自分たちにできることは、なんなのか。常に心に問いかけアクションを起こす生き方が、竹富島の未来に明るい光を届けている。
PROFILE
星のや竹富島
竹富島の東に位置する琉球赤瓦の集落「星のや竹富島」。
約2万坪の敷地には、島内の家々と同じように「竹富島景観形成マニュアル」に従い、
伝統を尊重して建てた戸建の客室、白砂の路地、プール、見晴台などがあり、小さな集落が構成されています。
星のや竹富島
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Photo by: Takeshi Abe
Edit & Text by : Seika Yajima