福島県南相馬市——。太平洋沿岸に位置するこの地域では、「相馬野馬追」という伝統行事が毎年執り行われています。言い伝えによれば、かの平 将門が野馬を敵兵に見立てて行った「軍事演習」がルーツとされており、代々の領主がこの行事を継承。時を経た今も、相双地方の平和と安寧を祈る神事として、多くの地元民に親しまれているのです。
相馬野馬追が行われるのは、毎年7月最後の土日月。1日目は出陣の儀式となる「お繰り出し」や「宵乗り競馬」、2日目には「甲冑競馬」や「神旗争奪戦」、そして最終日には馬を素手で捕える「野馬懸」など、いくつもの催しが開催されます。なかでも、数百騎の騎馬武者が雲雀ヶ原に集い御神旗を奪い合う「神旗争奪戦」は迫力満点。甲冑をまとった武者たちの掛け声、旗がたなびく音、舞う土煙など、まるで戦国時代をそのまま再現したかのような雰囲気なのです。
そんな相馬野馬追を運営するのが、相馬三社(神社)、騎馬会など地元にお住まいの皆さんです。「騎馬武者はほとんどが地元住民なんです」。そう話すのは南相馬市役所に勤務する坂本邦雄さん。彼自身も自らが馬を操り、各行事に出場するのだそう。相馬野馬追執行委員会事務局の石川博之さんはこうも教えてくれました。「予行演習が一切ないぶっつけ本番。だからみんな真剣だし、その真剣さが野馬追の迫力と魅力にもつながっているんです。坂本さんは普段おっとりとしていますが、馬に乗ると人が変わったようになるんですよ(笑)」。
佐藤 徳さんは馬の飼育をしつつ、ご自身も馬にのって野馬追に出場している一人。「野馬追は小さいころからの憧れ。大人になったらいつか出たいと思っていたんです」。そんな佐藤さんが初めて馬に乗ったのは小学生のときでしたが、いまや馬を飼育するために3年の月日をかけて竹藪を切り拓き、馬小屋はおろか400mのパドックまでをもご自身で作り上げたというから驚きです。「正月、お盆、そして野馬追。この3つは相馬の人間にとってなくてはならないものなんです」。
高橋甲冑工房を営む高橋一幸さんは、騎馬武者がまとう甲冑などの制作と修理を行っている、この道43年の大ベテラン。「甲冑づくりは彫金、木工、縫製、漆塗りといった技術の集大成。すべてに精通していなければできない仕事なんです」。聞けば、甲冑職人は全国で5人しか残っていないそう。「野馬追の装具は実際に着用するもの。観賞用とは違って動きやすさも考慮しなければいけません。そこが大変でもありやりがいのあるところですね」。
野馬追に必要不可欠なのが先祖代々受け継がれる旗の数々。制作を一挙に引き受けているのは、西内染物店の西内清実さんです。「絵付けの作業は特に神経をつかいますね。布の張り具合、筆のしなり、染料の滲み具合などすべてを計算してやらなくてはいけないんです」。実際に作業を拝見しましたが、その動きはまさに職人芸。一挙手一投足に一切の無駄がないのです。「技術的なこともそうですが、気温、湿度などすべての要素が複雑に絡み合うので、旗づくりにはレシピがないんです」。
たくさんの人の思いによってひとつの形になる、「相馬野馬追」。関わるメンバーは「この町にはなくてはならないもの」と口を揃えて話します。そして、相馬野馬追を継続させていくためには、もっと間口を広げることも必要と考えています。「1000名の参加者と400頭以上の馬が一度に集うお祭りは、世界に2つとないもの。だからこそ続けていくことが大切です」。これまで一度も相馬野馬追をご覧になったことがない方がいたら、南相馬に足を運んでみては。かつてない迫力に、きっと多くの人が虜になってしまうことでしょう。