TOHOKU HEROES 炭焼牛たん東山 代表取締役・中山 栄一さん

仙台といえば牛たん。「炭焼牛たん東山」の店先には、香ばしいかおりに誘われた人々が今日も行列を作っている。肉厚でジューシーな牛たんを提供する「東山」を率いる代表取締役の中山栄一さんは、被災地の復興を変化だと前向きに捉えている。「10年前の姿に戻るのではなく、もっと進化した東北でありたい」。中山さんが、東北の過去、今、そして未来について熱い言葉を寄せてくれた。

――中山さんが考える、東北のいいところはどんなところでしょうか。

「東北のいいところは、おいしいものがいっぱいあるところ。海も山も、全てのおいしいものがそろっています。あとは、人柄ですね。震災では町が瓦礫の山になって、海辺は津波で流されて、食べものもないし灯油もない、ガソリンもないというときでも周りの方たちのことを気にかけて助け合いました。それこそが、東北に暮らす人の最大の特徴だと思います。我慢強さ、周りの人への気遣い、温かさ。僕は仙台生まれの仙台育ちで、仙台から出るつもりはこれっぽっちもありません!」

――震災のときのことについて教えてください。

「あの日、具合を悪くした親戚のもとに行っていて、千葉で被災しました。すぐに仙台に電話をしましたが、全然つながりませんでしたね。メディアで流れてくるニュースを見て愕然としました。2日くらい経って仙台と連絡がつきましたが、必要なものが足りないと聞いて、東京で資材や小さい子ども用の粉ミルクやおしめ、水を買ってから帰りました。仙台に戻れたのは、震災発生から1週間後くらいでした。お店がどういう状況なのかもだんだんわかってきて、うちの店や会社はもうダメかもしれない、立ち直れないかもしれないと思いました。

どこも油まみれで、片付けもしないといけない。大変ですし、みんなへとへとでした。僕は震災直後の3月19日に誕生日を迎えたのですが、なにもないところからみんなが僕にかばんを1つプレゼントしてくれたんです。この状況でわざわざそういうことをしてくれたみんなの顔を見たときに、僕は『この子たちのためにちゃんと会社を立て直さないといけない』と強く決意しました」

――あれから10年が経ちました。どう捉えていますか。

「10年前の姿に戻るのではなく、もっと進化した東北でありたいと思っています。震災の前は石巻や女川で第1次産業の衰退が始まっていましたし、若い人たちはなかなか住みついていませんでした。昔に戻るのではなくて、三陸や海沿いの事業コミュニティを作ってそこに人を集めたり、新しい取り組みを始めたり、次に進んだり。そういうことでいうと、復興ではなくて変化なんですよね。

震災のときには、世界中が注目して日本人の対応や東北の素晴らしさを知ってくれました。だから、これからは世界に向けていろんな取り組みができたらいいですね。自分たちの事業や地場商品ももちろん大切ですが、それをどうやって東北の活性化につなげていくかを考えている人も多いです。

つらいことも大変なこともたくさんありました。僕は被災した後片付けを終えてから、数年間ほとんど仙台には帰りませんでした。仙台や東北で商売をやっていてもしばらく無理だろうという気持ちもあったんです。ただ自分の会社のためというよりは、僕らが持っているものやアイディアをどんどん外に向けて発信することを考えていました。当時、原発の問題で仙台牛も風評被害を受けて売れなくなったという相談を受けて、テレビ局まで出向いていろいろな話をしたり、取材にきてもらって、仙台牛は安心だということを売り込んだりもしました」

――現在は実店舗の他にも、楽天市場でのオンライン販売にも力を入れていますが、参入することになったきっかけを教えてください。

「楽天市場に出店することに決めたのは、僕たちが作っているものをいろんな方に知ってもらって買っていただこうというのがきっかけでした。ただ、最初は『商品は送ったけど、本当にお金を払ってくれるんだろうか』『これから先も販売し続けることができるのか』と不安も抱えていましたね。販売していくうちに、お客さまが購買行動のロケーションをいろんなところに持って行っているということが目に見えてわかりましたし、楽天市場で購入してくれるお客さんも、『楽天うまいもの大会』に参加するたびに増えていきました。そこの整合性が取れてきたときに、これは販売ツールとしてありなんだなと実感するようになりました。

僕はもともとこのブランドでアルバイトをしていたので、目の前のお客さんに対して出す料理しか体験していませんでした。なので、“お店以外の場所で売れる”ということに信憑性がなかったわけです。商品に入れる枚数や、加工の仕方、パッケージ、配送……。オンラインで販売するにあたり、全てを新しく開発しました。こだわったのは、家に届いたときにお店で食べるものと極力同じになるということ、誰が焼いてもおいしく食べられることですね。

今後の楽天市場には、もう少し出店するハードルを下げて、入りやすいものになってほしいです。今はモノを売るというアウトの部分だけですが、世界市場のもっとインなところを作ってもらえたらいいですね。これからどんどん食料戦争になっていくので、食糧戦略の中でインとアウトの流れをつかむことが大切だと思います。楽天さんはそういうことをやっていけるパワーがある企業なので、ただネットでモノを売るのではなく、そういうところにも力を使ってほしいと感じています」

――楽天は2004年に東北楽天ゴールデンイーグルスを設立し、東北に新たな文化を運んできました。当時は球団創設についてどう感じていましたか。

「やっぱり、子どもたちの喜ぶ顔や笑顔が感動的でしたね。僕たちも小学校3年生以下の子どもたちを対象にしたキッズベースボール大会を主催していますが、最初多かったジャイアンツや阪神、ヤクルトの帽子が、年を追うごとにクリムゾンレッドの帽子に変わっていきました。僕たちの大会では焼肉を振る舞うので、参加していた子どもたちの目的の8割は焼肉だったと思いますが(笑)

子どもたちからすると、『プロ野球選手になる』という夢が近いところまできたと感じられるようになったんだと思います。

僕たちからすると、スポーツを通じた経済効果がやっと東北にもできるんだというところですね。県外の方々が来てくれれば、宿泊や飲食で経済効果が生まれます。それ以外のさまざまな販売ツールを含めても、球団さんができたことで比較にならないくらいの効果が出たのではないでしょうか。

2013年にイーグルスが日本一になった瞬間は、『震災を乗り越えてここまでこれたんだ』という思いの共有で泣けてしまいました。田中将大さんが投げてくれたこともそうですし、いろんなところでさまざまな取り組みをしてくれていた人たちが、ひとつになって東北のために戦った成果が結果として出たわけですからね」

――震災後、楽天イーグルスの選手が募金を呼びかける活動なども実施していましたね。

「もちろん、楽天さんだけではないですよ。ただ、やっぱりスポーツの選手の力は大きくて、僕らが『東山です。皆さんお願いします』と言うのとは違う力があると感じました」

――最後に、「炭焼牛たん東山」さんが掲げる、これからのビジョンを教えてください。

「僕らのビジョンは、食を通じて全ての人に喜んでもらって、未来を作ることです。僕らの力は些細ですが、“食を作る”ということには、お客さまや取引しているいろんな業者の方が関わってくるわけです。そういう人たちと一緒に喜ぼう、未来を作っていこうということです。ただ食を提供するのではなく、東北の力や日本の食材の文化をもっと発信することや、逆にインすることも当然必要です。地産地消をこれからも進めていかないといけないと考えています。

食育とスポーツはずっと取り組んできたことで、これは楽天さんの力もお借りしないといけませんが、健康で頑張り屋さんな元気な子どもたちを次世代の勇士として育てていきたいですね。

最後に、食品廃棄をゼロにしていくこと。最後に、食品廃棄をゼロにしていくこと。例えば、今は廃棄している牛たんの皮を再利用する道を探しています。加工の過程でどうしても捨てなければいけない部分が出てきてしまいますが、それらを無駄にしないようにさまざまなメニューを開発して使用しています。

そういったことを実現できる、世界に打ち出せる加工技術を作ってこうとするのは大変なことですが、日本で一番働きたい飲食企業になって、東北を活性化していく。そういうビジョンを10年後に達成できるように頑張っていきます!」

取材したショップ

炭焼牛たん東山