Monthly Food Letter 【Feb.】カカオの旅。

2021.2.10

ヨーロッパでは10月からがチョコレートシーズン。日本もどんどんシーズンが早まっています。呼び名もチョコレートからショコラ、そして最近はカカオと素材名で呼ぶ機会も増えてきました。今回は、カカオの木を見に行ったお話です。

大航海時代の置き土産

水滴が飛び散ったような、緑の島々が散り散りと南シナ海の海上に現れてきました。島嶼国、フィリピン。18世紀の大航海時代、ヨーロッパの列強各国はスパイス目当てにアジア航路を開拓し、多くの東南アジア諸国がその配下になりました。彼らは、東南アジアのスパイスを獲得するだけでなく、熱帯気候に合う植物も持ち込みました。その一つがメキシコ原産のカカオの木でした。

現在カカオ産地で有名なのは、ヴェネズエラ、ガーナなどアフリカ諸国が多いのですが、2011年にベトナム発、ベトナム産カカオによるビーン・トゥ・バー※のブランド<マロウ>が登場した頃から、産地としてアジアが注目されるようになりました。大航海時代から時を経て、チョコレートが大きな産業になり、アジアにもカカオのプランテーションが外資系企業によって設立されたのですが、小さな島の集まりで生産や輸送効率が悪いフィリピンは、チョコレート産業の下請けになりませんでした。

代わりに、一般家庭の庭木として細々と400年前にメキシコからやってきたカカオが残り、他の品種と交配することなく点在しているのです。黄、橙、緑のビビッドな色のラグビーボールのようなカカオポッド(カカオの実)が、庭で柿の木みたいに生えているとは、愉快で不思議な光景です。フィリピンの人々は、熟したカカオの実をとって、中のカカオ豆(実際はカカオの種)を包んでいる乳白色でジュレ状のカカオパルプを飲んだり(これがとても美味しい)、カカオの実だけをすり潰して固めただけのタブレオ(スーパーでも売っている)を、削ってお湯や牛乳に溶かして飲んだり、お米と一緒におしるこみたいなスイーツにして食べるそうなのです。ボンボンショコラにちょっと飽きてきた私には、それがチョコレートでもショコラでもない、カカオの新しい可能性に見えました。

※ビーン・トゥ・バー
:チョコレートの原材料であるカカオ豆から一貫製造するチョコレート。一般的にチョコレートは、クーヴェルチュールというカカオをすでに加工して副材料を加えた製菓用チョコレートから作る場合が多い。

カカオの木とご対面

そしてカカオの木に会いに、カカオ農家の父子の案内で、道無き森を進みます。一時間半ほど歩いたでしょうか。鬱蒼とした熱帯の樹木がまばらになり、ぽっかり開けた一帯に、低木のカカオがカラフルな実をつけて木陰で揺れていました。ある一本の前で「この木が、ムッシュに送ったカカオの木です」と農家のお父さんが立ち止まり、同行のショコラティエの方を向きました。多くの木の中で、名前も番号もないのによく分かるものだなと感心していると「いい実をつける木です」と満面の笑み。すると今度は「これを食べて欲しくて」とショコラティエから農家のお父さんに、件の木のカカオから作ったビーン・トゥ・バーのタブレットが手渡されました。TVクルーが入っていたわけでもなく、事前に筋書きを用意していたわけでもないのに繰り広げられたこの光景に、居合わせた幸せと、カカオが人を惹きつける不思議なパワーを感じました。

一部のショコラティエやパティシエ、シェフが、最近は取り憑かれたようにカカオの産地に足を運んでいると聞きます。チョコレートは、抗いがたい力で人々を魅了してきましたが、これから私たちを魅了するのは、カカオがチョコレート以外のものにもなる可能性や意外性になって行くのではないでしょうか。そんな予感と興奮に包まれた旅でした。

R gourmetへ、ようこそ。今月の皆様の食卓が美味しく、楽しくありますように。

イラスト:いとう瞳 文:柴田香織