日本初 放牧乳の地域チーズ
①北海道・十勝山麓チーズ
令和7年度国産牛乳乳製品の需要拡大・競争力強化対策事業(国産チーズ競争力強化支援対策事業)
「一つの村に一つのチーズ」が日本にもやってくる
カマンベール村のカマンベール、コンテ地方のコンテ。フランスでは「一つの村に一つのチーズ」という言葉があり、その土地の気候風土と人々の営みが結晶したチーズは、地域の文化そのものとして愛されてきました。そんな「地域チーズ」の考え方が今、日本でも広がろうとしています。
北海道・十勝の西部で始まった「十勝山麓チーズ」プロジェクトを皮切りに、岩手などでも地域チーズの構想が進行中です。これは単なるブランド化ではありません。複数の工房が地域ごとに手を組み、共通の品質基準と物語を持つチーズを作ることで、消費者は「この地域のチーズなら間違いない」という新しい選び方ができるようになります。小さな工房では難しかった大手との取引や安定供給も可能になり、私たちの食卓に本格的な地域チーズが身近に届く未来が始まろうとしているのです。
日本のチーズ工房は、2010年の約150件から2023年には351件へと2倍以上に成長しました。この急速な発展の中で、各工房が個別に戦うのではなく、地域としてまとまることで新しい価値を生み出す。それが「地域チーズ」という挑戦です。そのひとつ「十勝山麓チーズ」の誕生背景と、この地でしか生まれ得ないチーズの魅力を追います。
まさにでっかいどう!圧倒的スケールの放牧酪農地帯
十勝平野の西端、日高山脈の麓に位置する新得町と清水町を中心とした地域。ここが「十勝山麓」です。新得町は日本新八景の「狩勝峠」、清水町は「十勝清水牛玉ステーキ丼」で知られ、この地域をつなぐ観光ドライブコースでは、放牧地やチーズ工房を巡ることができます。
実際にこの地を訪れると、その圧倒的なスケールに驚かされます。見渡す限りの牧草地に、のびのびと草を食む牛たち。その背景には、北海道の背骨とも呼ばれる日高山脈が連なります。「この景色こそが、十勝山麓の共通の財産なんです」と寺尾さんは語ります。
「西側に山があることで、牛が暑くても木陰に入れる。日が傾くと日陰が多くなり、牛にとって健康的に暮らせる環境が自然と生まれているんです」(寺尾さん)。昨今の温暖化で夏の暑さが厳しくなる中、この地形的な特徴が牛たちの健康を守っています。
放牧飼育の牛は、広い牧草地で新鮮な牧草を食べることで、ミルクに独特の風味が生まれます。特に5月から6月の「スプリングフラッシュ」と呼ばれる時期は、一気に花が咲き、草が最も豊かに育つ季節。この時期のミルクは一年で最も特徴的で、チーズに複雑な味わいをもたらします。
寺尾さんは「7月、8月は暑さでミルクが薄くなるので、ハードチーズはあまり作らないんですよ。自然のリズムに寄り添った製造が、十勝山麓チーズの特徴です」と説明してくれました。
この自然環境と、そこで営まれる酪農の風景。それが十勝山麓チーズの味わいの源なのです。
十勝山麓の名工房が集結!十勝山麓チーズプロジェクト
2024年12月に動き出した、地域チーズ「十勝山麓チーズ」プロジェクト。
プロジェクトの中心メンバーである広内エゾリスの谷チーズ社の寺尾智也さんは、フランスで3年半の研修を経て帰国後、この構想を温めてきました。「フランスで地域ごとのチーズ文化に触れたとき、これを日本でも実現したいと思ったんです」と寺尾さんは語ります。
このプロジェクトの始まりは、共働学舎新得農場の宮嶋代表を中心につくった「十勝ラクレット モールウォッシュ」というチーズの製造技術者として関わったことです。そのとき、十勝の10軒以上のチーズ工房が力を合わせ、その取り組みが「十勝ラクレット」という地域ブランドづくりへと繋がっています。
このブランドのチーズは、地域の特産として正式に認められる“GI(地理的表示)”という制度に登録されました。GIは「その土地ならではの品質や伝統を守るための国の認定制度」です。 これによって、「十勝のチーズ」として名前を出して販売できるようになり、今まで難しかった大手スーパーとの取引も実現したといいます。
「その経験から、もっと狭い範囲で、放牧のミルクにこだわった地域チーズがあってもいいと思ったんです」(寺尾さん)
このプロジェクトに集まったのは、十勝を代表する名工房ばかり。
まずは、20年以上にわたりハードチーズを製造してきた老舗、共働学舎新得農場(新得町)。代表の宮嶋望さんは、20年以上にわたって日本のチーズ界を牽引してきた重鎮の一人。「レラヘ・ミンタル」や「シントコ」といった大型チーズは、この地域のテロワール(土地の個性)を表現する代表格です。長年の経験と技術は、プロジェクト全体の品質基準を高める上で不可欠な存在です。 そして、寺尾さんの盟友ともいえるあすなろファーミング(清水町)。村上牧場の放牧ミルクを使い、常に新しいチーズ作りに挑戦する工房です。寺尾さんとは「十勝ラクレット」を共同開発してきた間柄で、その先進的な取り組みと挑戦心は、地域チーズに新しい風を吹き込んでいます。
広内エゾリスの谷チーズ社(新得町)は、寺尾さんが代表を務め、フランスで学んだ技術を導入しながら、この土地ならではのチーズ作りに取り組んでいます。寺尾さん自身、かつて共働学舎で働いていた経験があり、その技術を受け継ぎながら独自の道を切り開いてきました。
「自然との共存」をテーマに、昼夜問わず放牧する完全自然放牧を実践している宮地牧場も十勝山麓チーズに名を連ねる名牧場。牧草や野の草花だけで育った牛のミルクは、飲むたびに季節や風景の香りを感じるような味わいです。牧場ではそのミルクを「グラスドロップミルク」と名づけ、バターやチーズなど、自然の循環を大切にした商品づくりを行っています。
さらに今後は、十勝山麓に点在する複数の牧場やチーズ工房が参加を検討中。十勝西部の放牧酪農を支える生産者たちが、同じビジョンのもとに集結しようとしています。
十勝山麓でのびのび育った放牧乳のハードチーズ
「十勝山麓チーズ」と名乗れるのは、どんなチーズなのか。プロジェクトメンバーが定例会議を重ね、協議を重ねた結果、明確な条件が定まりました。
まず第一の条件は、放牧酪農のミルクを使うこと。実は「放牧」には、きちんとした基準があります。日本草地畜産種子協会の放牧認証に登録し、最低でも0.3ヘクタール(約900坪)に対して1頭の牛が飼育されているかなど、厳格な検査を受ける必要があるのです。そう、ストレスフリーな環境には、科学的な裏付けがあるのです。
この放牧認証を受けた牧場のミルクのみを使用すること。これが十勝山麓チーズの絶対条件です。放牧によって育った牛のミルクは、舎飼いとは明らかに違います。青々とした牧草を食べ、広い牧草地を歩き回ることで、ミルクに豊かな風味と複雑さが生まれるのです。「放牧のミルクの特徴は、よりパンチがある。その個性が最も生きるのがハードチーズなんです」と寺尾さん。
第二の条件は、地域を限定すること。新得町と清水町を中心とした、日高山脈および大雪山系に隣接する市町村に限定されます。「十勝全体だと19市町村もあって広すぎる。テロワール(土地の個性)を表現するには、もっと絞り込む必要がありました」。同じ景色、同じ気候風土の中で育まれたチーズだからこそ、共通の個性が生まれるのです。
そして第三の条件は、ハードチーズであること。6ヶ月以上の長期熟成によって、放牧ミルク特有の風味が増幅され、複雑な旨味が生まれます。フレッシュチーズや白カビタイプも美味しいのですが、放牧の特徴を最も表現できるのがハードチーズなのです。
日本人に馴染みのある旨味成分がつまった味わい深いチーズを目指しています。ただし、ハードチーズは作るのが大変。一度作ったら半年後まで味が分からないため、改善のサイクルが遅く、経営面でも資金が長期間眠ってしまいます。「私も始めて3年経ってから少しずつ、5年目でやっと本格的に作れるようになりました」と寺尾さん。だからこそ、工房同士で技術を共有し、協力することに大きな意味があるのです。
十勝の放牧が育てた風景の味を、日本全国へ
十勝山麓チーズが目指すのは、スイスの伝統的なハードチーズ「エティヴァ」をモデルにした2つのラインナップです。
一つ目は、自然な表皮を持つタイプ。コンテやグリュイエールのように、チーズの表面が自然に形成される伝統的な製法で、6ヶ月から熟成させます。このタイプは2024年から少量の製造を開始しており、2025年11月頃から本格的に販売が始まる予定です。「去年作ったものはほぼ完売に近く、今年は春から早めに仕込みを始めました」と寺尾さん。すでに市場の期待の高さが伺えます。
二つ目は、長期熟成タイプ。3ヶ月目に表皮をお湯で洗い流し、品質の良いものだけを選んで、オイルやビネガーでコーティングする「ルビーブ処理」を施します。これにより2年、3年、5年、さらには10年という超長期熟成が可能になります。
通常のチーズは板の上に横に置いて熟成しますが、このタイプは円盤状のチーズを縦に立てて熟成させます。板に接していると湿気を帯びてしまうので、より乾燥した環境で熟成させることで、イタリアの熟成チーズのような濃厚な旨味と結晶化したアミノ酸の食感が生まれるのです。こちらは2026年以降に販売予定です。
「十勝の放牧で育った牛のミルクから作るハードチーズを、日本全国に発信したい。この土地の景色や、牧場の空気感までが伝わるようなチーズを作りたいんです」と寺尾さんは語ります。
そして寺尾さんが特に伝えたいのは<チーズの日常使い>。「チーズを調味料として食べてほしい。日常のテーブルに美味しいチーズが乗っているだけで、食卓が華やぎます」。特にハードチーズは、スイスのように専用のカンナで削ると、削り節のようなロール状になり、料理にかけるだけで風味が一気に広がります。鰹節という調味料の文化を持つ日本人だからこそ、チーズ調味料という、新しい食べ方の可能性があるといいます。
「お酒のおつまみとしてだけでなく、普段の食卓に。カレーの日でも、プラスしてチーズをかけた蒸しジャガイモがあるだけで、ちょっとハッピーになる。そんな暮らしを一段上げてくれるチーズでありたいんです」(寺尾さん)
「十勝山麓チーズ」完成に向けて
現在も定例会議を重ねながら、ブランドのロゴデザイン、パッケージ、販売戦略などを協議中です。年内を目処にブランディングを完成させ、十勝山麓チーズのマークを冠した商品が市場に登場する予定です。
「十勝山麓チーズを選んでおけば間違いない」そんな信頼のブランドとして、消費者の食卓に届く日が、もうすぐそこまで来ています。
次回は、実際の製造現場や、プロジェクトに参加する各工房の想いをさらに深く掘り下げます。地域チーズ誕生の瞬間を私たちは引き続き追っていきます!






